人は人を完全に理解することはできない。
人は愛する人と一つになることができない。
人は自分のように相手を思い切ることができない。
人はすべてを認めることができない。
人は自分以外のものになることができない。
人は自分以外の出来事をすべて平等に思うことはできない。
人は人でしかいられない。
僕はそれを知っている。
知っている。
なのにいったいなんだろう。
僕はそれに対して最善の努力をしただろうか。
僕は人を理解することに最善の気持ちを持っただろうか。
怠慢を働かなかっただろうか。
あきらめなかっただろうか。
間違いはなかっただろうか。
コミュニケーションについて考えてみた。
互いに理解しあうための行為だ。
理解の末にはすべての情報の融合がある。
その末は一つだ。
つまりは。
コミュニケーションとはそれに対する最大の努力だ。
最大の抗いだ。
僕はそれを全力でやってきただろうか。
僕はそれを想う。
想い続ける。
後悔する。
そして。
そして。
詩を。
甘いんだ
とても甘いんだ
甘くて柔らかくて
きれいに透き通ってて
掌に
零れずにいてくれる
留まろうとしてくれる
なぞろうとさえしてくれる
枯れ果てた
この停車場にさえ
小さな会話が
たち咲いて
「大丈夫」
そしてまた想う。
死ねばいいのに。