ウェヌスの暗号

韻を踏み過ぎてパーに成った。

芸術幼女言語の最深部。


或いは美型詩の実験場。


学校から僕のすべてを込めて

いや、僕の愛はあまり効力がないようなので。
それにしても人ととことん話しあってみると、人によりひどく現実を知ることがあれば、気持ちが前をむき出すこともありますね。
きっとそれは話している人の人柄によるんだと思うんですが、昨日は後者のような話をしました。
こういうちょっとしたことで人は希望を手に入れたり絶望に落とされたり。
本当に興味深いですね。
人の感情って。
ああ、ちなみに今学校のパソコンから書き込んでいたりします。
なぜかというと、今日午前中に授業があった筈なんですが先生が来れなくなってしまって時間を持て余す結果になったからで。
まぁよくあることといえばよくあることです。
それにしても最近コメントが多くてうれしい限りです。
人と何かを持ってして触れるということは僕に安心を与えてくれます。
これからもそれをやめずにいけたらな。
ということで詩を一つ。


どんな感覚を持ってしても
この微睡みが続く限りは
決して油断をしてはいけない
ましては愛を持ちあわせるなど


今丁度私には
それを行おうとする
勇気に満ちた残像が
確かに見えているのです


恐怖などという感情にまで
頼ってしまった私には
この危険を受ける術すら
未だに持てずに居るけれど


ほど遠く続く青さに
たとえ何を感じようと
消え行く其の先にまで
目を向けてはいけないのです


つまりは全て自分自身ということ
しかしこの感覚を信じる上で
決して油断をしてはいけない
ましては愛を持ちあわせるなど


題して「日差しがさすまで」です。
それでは。